1992年、パリのアトリエでクリスチャン・ルブタンはイタリアから届いた試作品のハイヒールを眺めていた。何かが物足りない。そのとき、隣でアシスタントが自分の爪を塗っているネイルポリッシュが目に入った。ルブタンはためらいなくその瓶を手に取り、靴のソールに赤を塗った。「そのとき、靴がパッと映えた」。彼はのちにニューヨーカー誌にそう語っている。
その一塗りが、30年後に世界中の知財当局と法廷を巻き込む大論争の種になるとは、誰も予想していなかった。色という、誰も「発明」できないものが、商標として保護されるのか。そして、国によって答えがまるで違うのはなぜなのか。ルブタンの赤いソールほど、色彩商標の本質を鮮明に照らし出した事例は他にない。
「色」が商標になるための大前提
まず知っておかなければならない原則がある。色彩商標は本来、どの国でも「本質的な識別力を持たない」とされている。赤・青・黄といった色は数に限りがあり、特定の企業が独占してしまえば、競合他社が創作・製造活動で色を自由に使えなくなる。これを「競合排除のおそれ(competitive need)」と呼ぶ。
では、色を商標として守る方法はないのか。ある。「セカンダリー・ミーニング(後発的識別力)」の取得だ。消費者がその色を見た瞬間に特定のブランドを連想するほどの長期使用実績と認知度を積み重ねれば、その色はもはや「誰でも使える色」ではなく「そのブランドの識別子」として保護対象になりうる。ティファニーブルー、UPSブラウン、ホームデポオレンジ。これらはすべてこの理論で保護されている。
ルブタンは1992年以降、すべての靴のソールを同一の赤(のちにPantone 18-1663 TPX「Chinese Red」と定義)で統一し続けた。2011年時点でラグジュアリーフットウェアのオンライン検索の48%がルブタン関連だったという調査データが示すとおり、この赤はすでに「ルブタンの象徴」として消費者の頭に刷り込まれていた。
アメリカ:USPTO登録番号3361597・3376197と、YSLとの法廷闘争
最初に商標登録が実現したのはアメリカだった。2008年1月、米国特許商標庁(USPTO)は「Red Sole Mark(赤いソール商標)」を登録番号3361597として認めた。さらに関連する3376197も取得。いずれもPantone 18-1663 TPXの赤をハイヒールのソールに使用する商標として定義されている。
この商標が正面から試されたのが、2011年のクリスチャン・ルブタン対イヴ・サンローラン(YSL)訴訟だ。YSLは「全体が赤い靴」を販売。ソールも赤い。ルブタンは商標権侵害で提訴した。
2012年、第2巡回控訴裁判所は画期的な判断を下した(696 F.3d 206, 2d Cir. 2012)。ルブタンの赤いソール商標は有効である。ただし、保護範囲は「靴のアッパー(甲の部分)と対比をなす赤いソール」に限定される。全体が赤い靴のソールには商標権は及ばない。つまりYSLの「全部赤い靴」は侵害にあたらないと結論づけた。
この「コントラスト要件」の導入は、色彩商標の保護範囲を考えるうえでの世界的な基準になった。色そのものを独占させるのではなく、「特定の文脈における色の使われ方」を保護するという設計思想だ。
EU:CJEU Case C-163/16と「位置指定の色彩商標」という概念
欧州ではさらに複雑な展開を見せた。EUIPOに登録されたルブタンの赤いソール商標に対し、ベルギーの靴メーカーVan Harenが取り消しを請求。争点は「この商標はEU商標規則第7条(1)(e)(iii)が禁じる『形状のみからなる商標』に該当するのではないか」という点だった。
2018年6月、EU司法裁判所(CJEU)はCase C-163/16で判決を下す。赤いソールは「商品の形状のみからなる商標」ではなく、「位置指定の色彩商標(positional colour mark)」として再定義することで、その壁をすり抜けた。この論理構成は現在も欧州の非伝統的商標法制で「CJEUルブタン法理」として引用されている。
日本:J-PlatPat出願番号2015-029921と二度の拒絶
日本での結末は、米国・EUとまったく異なる。
2015年の商標法改正により、日本でも「色彩のみからなる商標」の登録が制度上可能になった。ルブタンはこれを機にJ-PlatPatで確認できる出願番号2015-029921として出願した。色の定義はPantone 18-1663TP、指定商品はハイヒールのソール。しかしJPOの審査官は登録を拒絶し、不服申立ての末、2022年6月にJPO審判部も再び拒絶の結論を維持した。
日本の審理基準は2つの要素を評価する。第一に「後発的識別力」。この点でルブタンはある程度の証拠を示せた。問題は第二の要素、「競合他社への不公正な制限とブランドオーナーへの利益のバランス」だった。JPOは「日本の靴業界では、ハイヒールのソールを赤く塗る慣行が長年にわたる一般的な業界実践として定着している」と認定した。日本メーカー「Eizo」など複数の企業が以前から赤いソールを使用していたことが、独占登録へのブレーキとなったのだ。
並行して東京地裁で争われた不正競争防止法訴訟でも、ルブタンは敗れている。裁判所は「女性用ハイヒールの赤いソールは、日本では商品の出所を示す識別表示として消費者に認識されていない」と述べた。大阪のMarks IP法律事務所の三上弁護士が指摘するとおり、日本で色彩商標が認められた事例は2022年時点でわずか9件、しかしそれはすべて複数色の組み合わせであり、単色での登録成功率はわずか1.6%だ。
なぜ国によって判断が割れるのか
同じ色、同じブランド、同じ実績を持って申請して、なぜアメリカとEUは認め、日本は認めないのか。この問いに答えるには、各国の「何を保護の核心に置くか」というスタンスの違いを理解しなければならない。
米国とEUは「消費者の認知(consumer perception)」を最重視する。消費者がその色を見てルブタンを想起するなら、それは商標として機能している、という結論になる。一方、日本は「業界慣行の公正な維持」に重きを置く。たとえ消費者認知があっても、その色が業界全体で日常的に使われているなら、一社に独占させるべきではない、と考える。
どちらが「正しい」かは一概に言えないが、ルブタンの赤いソールが「コントラストのある赤いソール」という形で米国で認められた点は、色彩商標の設計論として非常に重要だ。純粋な単色の独占ではなく、「文脈(context)」を含めた複合的な商標として構成することで、競合排除のおそれを最小化しながら保護範囲を確保した。この設計は非伝統的商標を出願するうえで、今も参照される手法になっている。
まとめ:色を守る戦略が問うもの
ルブタンの赤いソールをめぐる知財史は、色彩商標の本質を三つの側面から教えてくれる。
第一に、「何色か」より「誰がその色を見て何を思うか」が勝負を決める。消費者認知の積み上げこそが、色を商標に変える唯一の道だ。第二に、同じ実績でも法域によって結論が正反対になる。グローバルブランドが知財戦略を設計するとき、国ごとの基準の違いを無視すれば足元をすくわれる。第三に、商標の「文脈設計」が保護範囲を決める。ルブタンが「対比のある赤いソール」として商標を確立したことは、単なる妥協ではなく、競合排除批判を封じる戦略的な知財設計だった。
USPTOに登録番号3361597・3376197として刻まれた赤は、今日も世界の赤カーペットを歩き続けている。日本のJ-PlatPat上ではいまだ「未登録」のまま止まっているこの色が、いつか日本の法制度を動かす日が来るかどうか。それは次の改正の動向次第だ。


コメント