「これは人間の頭の中でもできる処理だから特許にならない」――AIを使ったシステムの特許出願をめぐって、審査官からこう指摘されたケースは少なくありませんでした。ところが、2025年後半から米国特許商標庁(USPTO)の審査姿勢に変化の兆しが見え始めています。その中心にいるのが、2025年9月に就任したCathi Squires局長です。
§101とは何か――「特許にできる発明」の入口審査
米国特許法第101条(§101)は、「特許を取得できる発明の種類」を定めた条文です。プロセス、機械、製品、組成物――この4つのカテゴリに当てはまるものが特許の対象になります。ただし、自然法則、自然現象、抽象的アイデアは除外されます。
AIが関連する発明で問題になるのが、この「抽象的アイデア」の解釈です。審査官は長年、「コンピュータ上で行われていても、本質的には人間が頭の中でできる計算や判断に過ぎない」という「メンタルプロセス論」を使って、AIアルゴリズムを中心とした発明を拒絶してきました。出願企業にとっては、技術的にどれだけ革新的でも、この壁を越えられなければ特許が取れないという状況が続いていました。
Squires局長が崩しつつある「常識」
Squires局長の就任後、USPTO内で注目すべき動きが相次いでいます。その一つが、特許審判・不服申立委員会(PTAB)による異例の判断覆しです。PTABとは特許庁内の審判機関で、審査官の判断に対する不服申立を審理する場所です。
従来、PTABはAIモデルの改良手法などを「抽象的アイデアの実装に過ぎない」として不適格と判断することが多くありました。しかし最近、PTABが自ら以前の不適格判定を覆す事例が出てきています。これは極めて異例のことで、局長レベルの政策的関与なしには起きにくい変化です。
Squires局長は「特許適格性の判断において、アルゴリズムの機能が特定の技術的問題を解決しているかどうか」をより重視する方向を示唆しています。つまり、「頭の中でもできる」という形式的な論理より、「その発明が技術分野に具体的に何をもたらすか」を問う姿勢への転換です。
「裁判所は方針を変えていない」――重要な留保
しかし、ここで欠かせない視点があります。USPTOの方針変更はあくまでも行政機関内のルールであり、連邦裁判所の判例法には直接影響しません。
§101に関する最高裁判例(Alice判決、Mayo判決など)は依然として有効です。特許が付与されたとしても、侵害訴訟で被告側が「この特許は§101違反だ」と主張すれば、裁判所はUSPTOの方針にかかわらず独自に判断できます。実際、AI特許が侵害訴訟の場で無効とされるリスクは、USPTO審査基準が緩和されたからといってなくなるわけではありません。
特許を取得することと、その特許が法廷で有効と認められることは、別の問題です。この点を理解せずに「AI特許が通りやすくなった=安心して取得できる」と受け取ると、後々大きな誤算を生む可能性があります。
今後の展開――制度変化をどう読むか
USPTOの方針変化は、AI関連技術の特許戦略を見直す好機ではあります。これまでメンタルプロセス論を理由に断念していた出願について、再度検討する価値が出てきました。特に、特定の技術的課題(例:過学習の防止、推論速度の改善)に対する具体的な解決策を明示したクレーム構成は、以前よりも通過しやすくなる可能性があります。
一方で、議会レベルでの§101改革論議も継続中です。立法によってAlice・Mayo判例の影響を緩和しようという動きは、過去に何度も議論されながら実現に至っていませんが、USPTOの変化がその機運を高める可能性もあります。
AI特許を検討している企業・研究者にとって、「審査は通りやすくなっているが、裁判所での安定性は別問題」という二重の視点で戦略を組み立てることが、今この時期の正しいアプローチと言えるでしょう。


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