USPTO、AI特許の審査基準を大転換――機械学習アルゴリズムは「抽象的アイデア」ではない

特許

2026年3月、米国特許商標庁(USPTO)が人工知能(AI)・機械学習(ML)関連発明の特許適格性審査において、実質的な方針転換を打ち出した。2025年9月に就任したキャサリン・スクワイアズ長官のリーダーシップのもと、従来の審査実務では「抽象的なアイデア」として広く拒絶されてきた機械学習アルゴリズムについて、より保護的な解釈へと舵を切ったのだ。この動きは、AIスタートアップから大手テクノロジー企業、製薬・医療機器メーカーまで、技術系企業の特許戦略に直接的な影響を与える可能性がある。本稿ではその背景、具体的な変化の中身、そして日本企業にとっての実務的な示唆を深掘りする。

§101という「鬼門」――なぜAI特許はこれほど通りにくかったのか

米国特許法§101は、特許を受けられる発明の対象(主題適格性、Subject Matter Eligibility)を定めた条文だ。条文そのものは「プロセス、機械、製品、または物質の組成物」を特許対象と広く定義しているが、最高裁判所が長年にわたって「自然法則」「自然現象」「抽象的なアイデア」という三つの例外を裁判所創設の法理として形成してきた。この三つに該当するものは、たとえ新規であっても特許を受けられないとされる。

問題を複雑にしたのは、2014年の最高裁判決Alice Corp. v. CLS Bank Internationalだ。この判決では、コンピュータ実装の概念(コンピュータで処理するビジネスメソッドや数学的概念)は「抽象的なアイデア」に該当し、それを汎用コンピュータで実行するだけでは特許適格性を満たさないとの判断枠組みが示された。これが「Aliceテスト」(二段階テスト)として審査実務に定着し、以降、ソフトウェア特許やビジネスメソッド特許の多くが§101拒絶を受けるようになった。

機械学習アルゴリズムへの適用はさらに深刻だった。MLモデルの訓練・推論プロセスは本質的に数学的演算(統計的最適化、行列演算、確率計算)の集合体であり、審査官の目には「数学的概念」=「抽象的なアイデア」と映りやすい。「このニューラルネットワークは数学の計算をコンピュータでやっているだけではないか」という論理で、実際に有用な技術的効果をもたらすMLシステムのクレームが大量に拒絶されてきた。2019年のUSPTO「2019年特許主題適格性指針」改定でやや緩和されたものの、それでも審査官の裁量が大きく、結果の予測可能性が低い状況が続いていた。

また、§101特有の問題として「メンタルプロセスの例外」がある。これは「人間の精神的活動、または人間が行える行為に対応する、概念、思想、または判断」は抽象的なアイデアに含まれるとする解釈だ。機械学習の文脈では、「このアルゴリズムは人間が(理論的には)手計算で行えるプロセスと同じ判断をしているのだから、精神的プロセスの例外に該当する」という論理で拒絶されるケースが相次いでいた。

スクワイアズ体制の「実質刷新」――何が変わったのか

2025年9月に就任したキャサリン・スクワイアズ長官は、就任直後から§101審査の運用改善を優先課題の一つに掲げてきた。2026年3月末時点で確認されている変化を整理すると、大きく三つの柱がある。

第一の柱は「機械学習アルゴリズム≠抽象的アイデア」という解釈指針の明確化だ。新指針では、MLアルゴリズムがコンピュータや専用ハードウェアの具体的な動作と結びついている場合、それを単なる抽象的概念として扱うのではなく、「技術的解決策の実装」として評価するよう求めている。特に、(a)訓練データの特定の前処理ステップ、(b)モデルアーキテクチャの具体的な構成、(c)推論結果の特定の技術的応用という三要素のうち少なくとも一つが明示されていれば、メンタルプロセスの例外適用に慎重になるよう審査官に指導している。

第二の柱は「技術的効果の重視」だ。クレームされた発明が「コンピュータ自体の機能を改善する」「特定の技術分野における実際の技術的問題を解決する」という方向での評価を強化している。たとえば、従来型のコンピュータビジョンシステムより推論速度を30%向上させるニューラルネットワーク構造、医用画像診断の精度を有意に改善するMLパイプラインなど、技術的な性能向上が定量的に示されるクレームには、より積極的に適格性を認める姿勢が示されている。

第三の柱は「PTABとの運用統一」だ。特許審判・控訴委員会(Patent Trial and Appeal Board、略してPTAB)は、USPTOの審判機関として審査官の拒絶に対する不服申立てを審理する。2025年末から2026年初にかけて、PTABはMLクレームに対する審査官拒絶を相次いで取り消す決定を出している。「審査官はメンタルプロセスの例外を過度に広く適用しており、クレームが実際に機械実装されていることを軽視している」というPTABの判断が積み重なっており、これが現場の審査実務にフィードバックされている。

Virginia Lawyers Weekly(2026年3月30日付)の報道によれば、この方針転換の背景には、AI産業における米国の競争力維持という政策的判断がある。中国がAI関連特許出願数で米国を上回るペースを維持している状況で、§101の過度な適用がAI企業の特許取得を妨げ、ひいては技術開発への投資インセンティブを損なっているという懸念が、産業界から強く指摘されてきた。スクワイアズ長官はこの懸念に正面から応える形で、実務レベルの運用改善に踏み切った。

PTABの相次ぐ拒絶取り消しが示す現場の変化

抽象的な方針転換をより具体的に示すのが、PTABの最近の審判決定の積み重ねだ。2025年10月以降、PTABが機械学習関連クレームへの§101拒絶を取り消した案件が顕著に増加している。

典型的なパターンとして見られるのは、次のような審判例だ。審査官が「このクレームは入力データを処理して出力を生成するという抽象的概念をコンピュータで実行しているに過ぎない」として拒絶したのに対し、PTABが「クレームは特定の技術的問題(例:リアルタイムの異常検知における計算コスト削減)に対する具体的な技術的解決策を記述しており、コンピュータの動作能力そのものを改善するものである。審査官の適格性分析は不完全であり、拒絶は維持できない」と判断するケースだ。

また、医療AIの文脈でも顕著な変化がある。画像診断支援AI、薬剤反応予測モデル、患者リスクスコアリングシステムなど、医療分野のMLアプリケーションに対する§101拒絶がPTABで多数取り消されている。これらの案件では、「医療上の意思決定を支援する技術的システム」としての側面が評価され、「医師が精神的に行える診断プロセスのコンピュータ化」という審査官の論理が退けられている。

数字で見ると、2025年第4四半期以降、ML関連の§101拒絶に対するPTAB審判での出願人の勝率が、それ以前の約40%台から60%台に上昇したという業界団体の集計がある。もちろん、個別案件の事実関係や代理人の主張の質によって結果は大きく左右されるが、この趨勢は審査実務の変化を裏付けている。

ただし裁判所は方針を変えていない――司法との「ねじれ」という重要な留保

ここで見落としてはならない重要な留保がある。USPTOとPTABの審査実務が変化しても、連邦裁判所(特に特許訴訟の控訴審を専門的に扱う連邦巡回控訴裁判所、CAFC)の判断基準は変わっていない。

CAFCは依然としてAliceテストを厳格に適用しており、コンピュータ実装発明に対する§101の判断で出願人・特許権者に厳しい結果を出し続けている。2025年のCAFC判決を見ても、ML・AIシステムの特許有効性が争われた複数の事件で、地裁のサマリージャッジメント(略式判決)による特許無効判断がCAFCで維持されている。

この「ねじれ」が意味することは深刻だ。USPTOで§101を乗り越えて特許を取得できたとしても、その特許が訴訟になった場合、CAFC・連邦地裁の判断基準でも有効性が維持されるかは別問題だ。特に、競合他社に特許を主張しようとした際に§101を根拠に無効とされるリスクは、USPTOの審査実務改善だけでは解消されない。

そのため、実務的には「USPTOで取得しやすくなった」という局面的な変化と、「裁判所での執行可能性は依然として不確実」という構造的なリスクを切り分けて考える必要がある。AI特許を競合排除の武器として使うのか、防衛ポートフォリオの構築のために使うのか、あるいはライセンス収益を目的とするのか――目的によって、この「ねじれ」のリスクウェートは大きく異なる。

なお、業界団体(AIPLA、IPO等)はCAFCレベルでのAliceテスト抜本的見直しを求めるアミカスブリーフ(法廷の友意見書)を継続的に提出している。最高裁が§101問題を改めて正面から取り上げる機会を業界として待望しているが、現時点で最高裁がこの問題を取り上げる見通しは明確ではない。立法による§101改正の動きも繰り返し議会に持ち込まれているが、超党派合意が難しく、立法での解決も短期的には見通せない状況だ。

日本のAI企業・大手メーカーへの実務的示唆

今回の変化は、米国市場でAI関連ビジネスを展開する日本企業にとって、いくつかの具体的なアクションポイントをもたらす。

①過去の§101拒絶案件の再評価:2019〜2024年の間に§101拒絶を受けて断念した、あるいは大幅にクレームを縮小した出願がある場合、継続出願(Continuation Application)や審判請求によって再アプローチを検討する価値がある。審査官のMLアルゴリズムに対する解釈が変わりつつある今、同一の発明でも異なる結果が得られる可能性がある。ただし、各案件の具体的な事実関係と現在の審査官・PTABの傾向を精密に分析した上で判断する必要があり、米国代理人との緊密な連携が不可欠だ。

②クレーム作成戦略の見直し:新規出願では、MLアルゴリズムの技術的効果を明示する記載を充実させることが有効だ。具体的には、(a)解決している技術的課題を明確に特定する、(b)技術的改善の定量的な指標(処理速度、精度、消費電力など)を明細書に記載する、(c)「人間が理論的に行える操作」ではなく「機械システムの動作」として記述する、という三点が実務的なポイントとなる。

③防衛・攻撃の両面でのポートフォリオ戦略:日本の製造業・精密機器メーカーにとって、自社の製造プロセス改善AI、品質検査MLシステム、予知保全アルゴリズムなどは、いずれも米国での特許保護の対象となりうる。以前は§101の壁で諦めていた領域でも、今般の審査実務の変化により保護の余地が広がっている。一方、競合他社からのML特許クレームにさらされる可能性も高まるため、FTO(実施自由度)調査の定期的な更新も重要度を増している。

④裁判所リスクを織り込んだ事業判断:前述のとおり、USPTOで取得できても裁判所での有効性は別問題だ。特に訴訟リスクが高い場面(競合他社への権利行使を検討する場合等)では、取得した特許が連邦地裁・CAFCの審理に耐えられるかを、専門的な法律意見書(Freedom to Operate Opinion、または Validity Opinion)として取得しておくことが、経営上のリスク管理として重要になる。

今回の変化は、米国AI特許の「氷河期」が終わりつつあることを示唆する重要なシグナルだ。しかし、それは完全な春の到来ではなく、USPTO審査実務という「一層目」が軟化した一方で、連邦裁判所という「二層目」は依然として冬のままという、二層構造の現実を理解した上でのリソース配分と戦略立案が求められている。AI技術の社会実装が加速する中、知財戦略の精度を上げることの経営的意義はますます大きくなっている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました