新製品・新技術をグローバルに展開しようとする企業にとって、特許を取得したい国すべてに個別に出願する作業は、時間・費用・翻訳コストの面で大きな負担となる。PCT(Patent Cooperation Treaty:特許協力条約)は、この負担を軽減するための国際的な仕組みであり、1回の「国際出願」で複数国への出願に相当する優先権確保と先行技術調査を一括して行える制度だ。本稿では、PCTの仕組み・流れ・費用・パリ条約ルートとの比較・中小企業が使うべきケースを解説する。
PCT出願の基本概念——「保護を延期する」制度
PCT(特許協力条約)は1970年に採択され、1978年に発効した。現在の締約国数は157ヶ国(2024年時点)に達する。WIPOのデータによれば、2023年のPCT出願件数は約27.2万件であり、中国(69,610件)・米国(55,678件)・日本(49,836件)が上位3ヶ国を占める。
PCT出願の本質的な機能は「各国への出願期限を延長すること」だ。パリ条約優先権制度では、基礎出願から12ヶ月以内に各国へ直接出願しなければならないが、PCT出願を経由することで、この期限を30ヶ月(基礎出願日から)まで延ばすことができる(一部の国ではさらに延長が認められる)。この延長期間を利用して、市場調査・事業計画の見直し・翻訳・現地代理人の選定などを行いながら、各国出願を進めるか否かを判断する時間を確保できる。
PCT出願の流れ——4つのフェーズ
フェーズ1:国際出願(International Filing)
受理官庁(JPOの場合は特許庁、または直接WIPOに)に国際出願を提出する。PCT規則11に規定された所定の様式(願書PCT/RO/101等)で、明細書・クレーム・要約・図面を提出する。出願言語は加盟国ごとに異なるが、日本語・英語・中国語・フランス語・ドイツ語・スペイン語・韓国語等が認められている。
基礎出願(パリ条約優先権主張の基礎となる最初の出願)から12ヶ月以内であれば、優先権を主張してPCT出願が可能だ。PCTの国際出願日が新規性・進歩性の判断基準日となる(優先権主張がある場合は優先日)。
フェーズ2:国際調査(International Search)
国際出願を受理すると、国際調査機関(ISA:International Searching Authority)が先行技術調査を実施し、「国際調査報告(ISR)」と「見解書(Written Opinion)」を作成する。ISAとして機能する機関はEPO・USPTO・JPO・CNIPA(中国)等があり、出願言語・受理官庁の種類により利用できるISAが異なる。
国際調査報告と見解書は、PCT出願から約16ヶ月以内に提供される。見解書は特許性についての予備的評価を含み、拒絶理由相当の指摘が記載されることがある。出願人はこの段階で「非公式コメント」を提出し、見解書の評価に対する見解を示すことができる(義務ではない)。
フェーズ3:国際公開(International Publication)
国際出願日(優先日)から18ヶ月後、WIPOの国際事務局がPATENTSCOPE(WIPO特許データベース)に国際出願を公開する。公開言語は主に出願言語だが、英語への翻訳が公開される場合もある。
なお、任意の手続きとして「国際予備審査(Chapter II)」を請求することができる。国際予備審査では、見解書の指摘に対して補正・反論を行ったうえで、「国際予備審査報告(IPRP)」を取得する。この報告は各国特許庁での審査に拘束力はないが、調査・審査の重複を減らす効果がある。
フェーズ4:各国移行(National/Regional Phase Entry)
国際出願日(優先日)から30ヶ月(Chapter IIを利用した場合も原則同じ)以内に、保護を求める各国・地域の特許庁に「国内移行手続き」を行う必要がある。移行手続きでは、各国語への翻訳・国内代理人の選任・各国別の官庁手数料の納付が必要となる。この時点で初めて実質的な各国別費用が発生するため、30ヶ月の猶予期間内にどの国に移行するかを絞り込む判断が求められる。
JPOへの日本国内移行手続きでは、日本語への翻訳(原語が日本語でない場合)・国内手続き(特許法184条の4等に基づく)・審査請求料の納付が必要だ。各国に移行した後は、それぞれの国の国内特許法に基づいて審査が進み、登録・拒絶が決定される。
費用の目安(WIPO・JPO公表データ)
| 費用項目 | 金額の目安 |
|---|---|
| WIPO国際出願手数料(基本手数料) | 1,381 CHF(電子出願割引後) |
| 送付手数料(受理官庁) | JPOへの場合:約8,400円 |
| 調査手数料(ISA=JPOの場合) | 108,900円 |
| 各国移行費用(例:米国) | USD 1,000〜3,000(官庁費用のみ) |
| 翻訳費用(英語→日本語、1件) | 10〜30万円程度 |
合計すると、PCT出願から米国・欧州・日本・中国の4ヶ国・地域に移行した場合、官庁費用と翻訳費用だけでも100〜200万円を超えることが多い(弁理士・現地代理人費用は別途)。PCT出願そのもののコストは個別各国出願の合算よりも低くなる場合が多いが、最終的に移行する国数が少なければパリ条約直接ルートのほうが安価なケースもある。
パリ条約ルートとPCTルートの比較
| 比較項目 | パリ条約ルート | PCTルート |
|---|---|---|
| 外国出願期限 | 基礎出願から12ヶ月以内 | 基礎出願から30ヶ月以内(通常) |
| 先行技術調査 | 各国個別(二重調査あり) | 一括してISAが実施 |
| 初期費用 | 各国個別費用が早期に発生 | PCTフェーズは1件分の費用(移行時に各国費用) |
| 適している場面 | 移行国数が少ない・早期登録が必要 | 移行国数が多い・事業化の見通しが不確か |
中小企業がPCT出願を使うべきケース
PCT出願は大企業だけの制度ではない。中小企業や個人発明家にとっても以下の場面では有効だ。
第一に、市場の見通しが不確かな段階での「オプション確保」。グローバル展開を検討しているが、どの国に進出するかが未定の場合、PCTを通じて30ヶ月の猶予期間を確保しながら事業計画を詰めることができる。
第二に、外部調査機関による先行技術調査の活用。ISAによる国際調査報告は、発明の特許性を客観的に評価する材料となる。報告結果が良好であれば各国移行の意思決定を後押しし、問題が指摘されればクレームの修正や出願戦略の見直しが可能だ。
第三に、中国市場への対応。中国への特許出願は競合製品の模倣防止において重要性が高まっており、PCTを通じた中国出願は手続きの効率化に寄与する。
なお、特許庁は中小企業向けの「PPH(特許審査ハイウェイ)」プログラムも運用しており、JPOで早期審査を受けた出願の審査結果を活用して、協定締結国での審査迅速化を図ることができる。
次回(第9回)では、成立した特許を「なかったこと」にできる「特許無効審判」の制度と、侵害訴訟との関係を解説する。

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