欧州特許庁(EPO)は2026年4月1日、2026年版の審査ガイドライン(Guidelines for Examination)を施行した。今回の改訂は複数の重要な変更を含んでおり、クレーム解釈に関する拡大審判部決定G 1/24の反映、先行技術判断に関するG 1/23の取り込み、PACE(加速審査プログラム)の廃止、AI利用に関する初の明文ガイダンスの導入、そして医薬用途クレームの開示要件強化が主な内容である。旧来の「European Patent Guide」と「Euro-PCT Guide」もこの改訂版に統合されており、2025年版は2026年5月31日まで参照可能であるが、それ以降は2026年版が唯一の公式文書となる。
今回の改訂でもっとも広範な影響を持つのが、G 1/24に基づくクレーム解釈の変更である。EPOは従来、クレームの文言が不明確である場合に限って、明細書および図面をクレーム解釈の補助資料として参照していた。2026年版ガイドラインはこの実務を根本的に改める。G 1/24の決定を踏まえ、審査官はすべての審査段階において——クレームの文言の明確さにかかわらず——明細書および図面を体系的に参照しなければならない。同時に、明細書はクレームの文言に記載されていない限定要素をクレームに「取り込む」ために使用できないという境界も明示された。
この変更の実務的意義は大きい。G 1/24は欧州単一特許裁判所(UPC)の解釈実務とEPOの審査実務を調和させることを意図しており、Solve Intelligenceの分析によれば、出願の初期段階から明細書とクレームの一貫性を確保することの重要性が大幅に高まった。とりわけ米国出願と欧州出願を並行して行う場合は注意が必要で、米国では従来クレームの文言が審査の中心であったのに対し、EPOでは明細書の記載がより直接的にクレーム解釈に影響するようになった。また、2026年版ガイドラインは検索段階においてもG 1/24の原則を適用することを明確にしており、出願初期から明細書とクレームの整合性を保つことが実務上の急務となっている。
2番目の重要な変更はG 1/23に関連する。同決定は新規性判断における選択発明(selection inventions)の取り扱いを定め、市場で流通している製品(marketed products)およびその分析可能な特性が先行技術を構成するとした。2026年版ガイドラインはこの決定を反映し、従前よりも厳格な新規性審査を求める内容となっている。数値範囲や特定の化合物を開示された先行技術から切り出して権利化しようとする出願に対しては、より厳しい審査が適用される可能性がある。製薬・化学分野の欧州出願戦略に直接影響する変更であり、実務家の間で特に注目されている。
医薬用途クレームの開示要件については、新たにパートFに独立した章が設けられた。さらなる医薬用途(further medical use)クレームに対して、開示の十分性(sufficiency of disclosure)の観点からより詳細な要件が求められる。具体的には、クレームの医薬用途を支持する技術的なデータや証拠が明細書中で十分に開示されていることが必要となる。製薬・バイオテクノロジー分野の出願人にとって、明細書作成段階でこの要件を意識した開示を行うことが不可欠である。
AI利用に関するガイダンスも2026年版の注目点の一つである。EPOは今回、AI支援の出願手続きに関する初の公式ガイダンスを設けた。内容は「AIツールを使用する出願人・代理人が最終的な責任を負う」という原則を明確化するものであり、AI生成の審査経過メモ(EPO minutes)は詳細なメモと照合して確認しなければならないとされる。Prism Newsの報道によれば、EPOはガイドライン中で「AIは複雑な法的事項を正確に要約できないことが多い」と明記しており、AIへの過度な依存に対する警戒を促している。生成AIを活用した明細書作成・審査対応が広まる中で、このガイダンスはEPO実務における人間の責任の所在を明確化するものとして重要な意味を持つ。
実務上のインパクトが大きいもう一つの変更が、PACE(Programme for Accelerated Prosecution of European Patent Applications)の廃止である。PACEはこれまで、審査の迅速化を求める出願人が無償で申請できる加速審査プログラムであった。2026年版ガイドラインのE-VIII, 4節において正式に廃止が定められており、出願人は今後、審査スケジュールに関する期待値を修正する必要がある。急ぐ場合は特許審査ハイウェイ(PPH: Patent Prosecution Highway)の活用など、代替的な迅速化手段を検討する必要がある。
EPOは今回の改訂に先立ち、2026年版ガイドラインのパブリックコンサルテーションを実施した。コメント受付期間は2026年4月3日に終了しており、寄せられた意見は2027年版ガイドラインの改訂に反映される予定である。Lexologyに掲載された実務家の分析によれば、G 1/24の反映とPACE廃止の組み合わせは、欧州での特許保護を重視する日本・米国企業の双方に対して出願戦略の大幅な見直しを迫るものである。
今後の注目点として、実際の審査においてG 1/24がどのように運用されるかが挙げられる。UPCとEPO審査の実務的な調和が意図されているとはいえ、審査官ごとの運用のばらつきが生じる可能性は否定できない。また、PACE廃止後の審査期間の実態的な変化については、今後のデータが蓄積されるにつれて実務家の関心を集めることになるだろう。2027年版改訂に向けたパブリックコンサルテーションの動向も、欧州特許実務に関わる全ての関係者にとって引き続き注視が必要な事項である。
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パテント探偵社 編集部
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