欧州特許庁(EPO)は2026年4月1日付で新しい審査ガイドライン(2026年版)を施行した。今回の改訂で最も実務的な影響が大きいのは、PACE(Programme for Accelerated Prosecution of European Patent Applications)の「検索フェーズでの加速審査サービスの廃止」だ。また、従来は別途配布されていた「欧州特許ガイド」と「ユーロPCTガイド」の2文書が、審査ガイドラインに統合された点も大きな変更となる。
EPO審査ガイドラインとは:その役割と重要性
EPO審査ガイドラインは、欧州特許条約(EPC)に基づく審査実務の指針として、審査官・出願人・代理人のすべてが参照する公式文書だ。特許性の要件(新規性・進歩性・記載要件など)から手続き上の詳細事項まで、EPO実務の「教科書」として機能する。毎年4月に更新版が施行されるのが通例で、近年はAI技術やバイオ分野など新技術領域への対応や、審査効率化に関する変更が続いている。
2026年版ガイドラインは2025年4月版に取って代わり、これまで独立した参照文書として存在してきた欧州特許ガイドとユーロPCTガイドを統合した。この統合により、出願人や実務家は複数の文書を参照する手間が省け、情報の一貫性も向上する。特にPCT出願を経由して欧州移行する案件を扱う日本企業にとって、参照すべき情報源が一本化されることは実務効率の改善につながる。
PACE検索フェーズの廃止:何が変わるのか
PACEとは、出願人が申請することで審査・検索の優先処理を受けられる制度だ。従来は「検索フェーズ」と「審査フェーズ」の両方でPACEが利用可能だったが、2026年2月1日から検索フェーズでのPACEが廃止された(2026年版ガイドラインはこれを正式に反映)。
EPOがこの変更を行った理由は、検索フェーズにおける通常処理の所要時間が十分に短縮されたためだ。EPOの統計によれば、2024年時点での平均検索報告書の発行期間は5.5ヶ月にまで短縮されており、PACEによる加速処理の付加価値が低下していた。
一方、審査フェーズでのPACEは引き続き利用可能だが、以下の条件が付された。
- PACE申請は1出願につき1回のみ
- 申請は審査フェーズ中にのみ行うことができる
- PACEが付与された場合、EPOは原則として次回の審査アクションを約3ヶ月以内に発行する
これまでは検索フェーズでPACEを使って先行技術調査を早期に完了させ、その結果を踏まえて事業判断や出願補正の方針を立てるというアプローチが可能だった。この手法が使えなくなることで、特にスタートアップや競合状況が急変する技術分野での出願戦略の組み立て直しが必要になる。
影響が大きい技術領域:AIとバイオ
PACE検索フェーズ廃止の影響が特に大きいのは、スピードが命のAI・ソフトウェア領域と、製品承認と特許出願タイミングを精密に管理する必要がある製薬・バイオ分野だ。
AI特許については、世界的にAI関連特許の出願件数が急増しており、競合他社よりも早く先行技術調査結果を得て権利範囲の最適化を図りたいニーズが高い。PACEによる検索加速が使えなくなれば、技術開発と特許出願のタイムラインを調整する必要が出てくる。
製薬・バイオ分野では、臨床試験のスケジュールや製品ローンチの時期と特許取得時期を合わせて管理することが競争優位に直結する。特許ライフサイクル管理(Patent Life Cycle Management)の観点から、検索結果の入手時期が遅れることは事業戦略上のリスクになりうる。
欧州特許ガイドとユーロPCTガイドの統合:実務的メリット
もう一つの大きな変更が、2つの参照文書の統合だ。「欧州特許ガイド(European Patent Guide)」はEPO直接出願のプロセスを詳説した文書であり、「ユーロPCTガイド(Euro-PCT Guide)」はPCT経由で欧州移行する際の手続きを解説した文書だ。これらが審査ガイドラインに統合されることで、出願人は一つの文書体系ですべての手続きを参照できるようになる。
日本企業にとって欧州特許取得は大半がPCT経由のルートを経由するため、ユーロPCTガイドの内容がガイドライン本文に統合されたことは実務効率の観点から歓迎できる変更だ。ただし、文書の分量が増大するため、改訂箇所の把握が難しくなる側面もある。欧州代理人(European Patent Attorney)との連携をより密にし、改訂内容の確認を怠らないことが重要だ。
2026年版ガイドラインのその他の主要変更点
PACE廃止と文書統合以外にも、2026年版ガイドラインにはいくつかの変更が含まれている。AIを用いた発明の記載要件に関する更新、配列表の開示方法(ST.26規格への対応の明確化)、そして進歩性評価における「課題・解決アプローチ(Problem-Solution Approach)」の適用範囲の整理などが含まれる。
特にAI関連の記載要件については、EPOが独自の「AI発明の審査アプローチ」を発展させてきており、USPTOのSection 101新ガイダンスと並んで実務上の重要参照点となっている。EPOとUSPTOでAI特許の審査基準が異なる点は、グローバル出願戦略を立案する上で引き続き注意が必要だ。
EPOの2025年・2026年パフォーマンス目標
EPOは近年、審査スピードの向上を重点目標に掲げている。2025年次報告書によれば、初回審査アクションまでの平均期間は2022年の約18ヶ月から2025年には約14ヶ月まで短縮された。ただし、技術分野によってばらつきが大きく、AIや通信分野では出願件数の急増により待ち時間が長めになる傾向がある。
EPOはまた、ユーザー体験の向上のためデジタルサービスの拡充を進めており、My EPOポータルを通じたオンライン手続きの一元化や、手続き状況のリアルタイム確認機能の強化も続けている。こうした取り組みと、PACE検索フェーズ廃止という制度変更は、「審査のボトルネックはPACEではなく別の部分にある」というEPOの認識を示している。
日本企業が今すぐ確認すべきこと
今回の変更を受けて、欧州特許を出願・管理している日本企業が確認すべき点を整理する。
第一に、現在進行中の欧州出願について検索フェーズでのPACEが申請済みかどうかを確認すること。2026年2月1日以降の新規申請は受け付けられないが、それ以前に申請済みのものの扱いについては欧州代理人に確認が必要だ。第二に、出願スケジュールの立て直しだ。検索フェーズの加速ができなくなった分、出願タイミングを早める、あるいは各国移行後の審査フェーズでのPACEを活用するなど、代替策を検討する必要がある。第三に、2026年版ガイドラインの全体的な変更点の把握だ。特にAI関連発明を多く出願している企業は、記載要件の変化に注意が必要だ。
EPO 2026年審査ガイドラインはEPO公式サイト(epo.org)で全文公開されている。また、変更点のサマリーはEPOが発行するニュースレターや特許庁(JPO)が発行する欧州特許制度レポートでも確認できる。
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