欧州特許庁拡大審判部、明細書補正義務をめぐるG 1/25の口頭審理を終結――「クレーム整合性」原則の維持に傾斜

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欧州特許庁(EPO)拡大審判部は2026年5月8日、明細書補正義務の要否を問う付託事件G 1/25の口頭審理を終結した。決定は当日には言い渡されず、書面による最終判断は今後数か月以内に出される見通しである。同事件は、欧州特許条約(EPC)が補正後のクレームに明細書を整合させる義務を当事者に課しているか否かを正面から問うものであり、現行のEPO審査・異議実務の根幹に関わる。

付託は技術審判部の決定T 697/22に由来する。同事件はクナウフ・インシュレーション(Knauf Insulation)所有の水耕栽培用培地に関する特許を巡るもので、審判部は審査・異議手続中にクレームが補正された結果、明細書との間に不整合が生じた場合に、出願人または特許権者が明細書をクレームに整合するよう補正しなければならないかという論点について、現行の判例が分かれている点を指摘した。

三つの付託質問

付託された質問は次の三点である。第一に、異議手続中にクレームが補正されて明細書との不整合が生じた場合、EPCに準拠するために明細書の補正が必要か。第二に、肯定される場合、EPCのいかなる条項がこの補正を要求するか。第三に、審査手続におけるクレーム補正の場合、答えは異なるか。

拡大審判部は2026年に公表した予備的見解(preliminary opinion)において、いずれの問いに対しても基本的に「クレーム整合のための明細書補正を維持する」方向の見解を示していた。具体的には、第一の問いについては「不整合がEPC違反を生じる場合には補正は必要、ただし不整合のみでEPC違反を生じない場合は補正不要」とし、第二の問いについては、明細書補正を義務付ける根拠条文はEPC第84条(クレームは明細書により裏付けられなければならない)であるとした。第三の問いについては、審査手続と異議手続を区別する必要はないとの見解を示した。

判例分裂の経緯

EPOにおける明細書補正実務は長年にわたり、審査ガイドラインF-IV, 4節を根拠として、補正クレームに対応する範囲外の実施例については「クレームの範囲内ではない」と明示するか、削除するよう求めるものとして定着してきた。これに対し、2021年以降の一部の技術審判部決定(T 1989/18およびT 1444/20など)は、明細書補正の法的根拠がEPCに明示的に規定されていない点を指摘し、補正を要求すべきでないとの立場を示した。この対立が現在の判例分裂を生み、技術審判部T 697/22が拡大審判部に付託する判断につながった。

判例分裂の実務的影響は無視できない。同じ補正クレームに対して、ある審査官は明細書補正を要求し、別の審査官は要求しないという不一致が生じ、出願代理人は審査官の個別判断に応じてワークフローを調整せざるを得なくなっていた。拡大審判部の最終決定は、こうした不均衡を是正することが期待されている。

口頭審理の構成

口頭審理では、付託元の審判部、出願人代理人、複数のアミカス・キュリエ(第三者意見)が登壇した。アミカス・キュリエの大半は、明細書補正義務を維持するEPO実務を支持する欧州特許弁理士団体や欧州大企業の知財部門である一方、米国系企業を中心とする一部の出願人団体は、明細書補正の義務化は手続コストを増大させ、後の侵害訴訟においてクレーム解釈の根拠とされ得る点でリスクを高めるとして、義務化に反対する立場を取った。報告される範囲では、拡大審判部は口頭審理中、当事者間の主要な対立点である「Article 84違反の有無を補正義務の引き金とすべきか」「『矛盾』の定義をどこまで厳格にすべきか」を中心に質問を投じたが、最終的な姿勢を明示することは避けた。

アミカス・キュリエの数と内容は、本付託への関心の高さを示している。欧州特許弁理士会(epi)、ドイツ特許弁理士会、英国特許弁理士会(CIPA)が補正維持を支持する意見書を提出した一方、米国系大手特許事務所連合や複数の製薬・バイオ業界団体は補正不要論を支持した。日本の業界団体からは、日本特許庁における同様の問題(明細書中の実施例の整理)との比較に基づき、出願人の自主的判断に委ねる方向の意見が示された。

予備的見解の射程と実務への影響

最終決定が予備的見解の方向性で出された場合、EPO審査官はこれまで通り、補正クレームに合わせて明細書中の関連記載(実施例の限定、用語の定義、図面の説明など)を変更するよう出願人に要求する権限を維持することになる。これは欧州出願実務の基本動作として広く定着しており、英国・ドイツ・フランスといった主要締約国の出願代理人は、この実務を前提とした見積もりとワークフローを構築してきた。決定が予備的見解と異なる方向で示された場合の影響は大きく、明細書補正をめぐる審査官との折衝コストが大幅に削減される一方、米国・中国出願との「同じ明細書を維持できる」可能性が高まる。

実務上の含意は二点ある。第一に、欧州特許の出願人は、本決定が確定するまで現行の明細書補正実務を前提とした対応を続ける必要がある。すなわち、独立クレームの補正に伴い、対応する実施例を「クレームに含まれる」「クレームに含まれない」と明示するか、または記載自体を削除する手当てを継続する。第二に、最終決定の射程が異議手続にも及ぶ点には注意を要する。異議答弁段階でクレームを限定する場合、明細書の対応する記載をどこまで補正するかは、後の取消訴訟や統一特許裁判所(UPC)におけるクレーム解釈に直結する。G 1/24(拡大審判部、UPCとのクレーム解釈調和を扱った決定)と本件G 1/25の組み合わせにより、欧州特許のクレーム解釈と明細書の関係はより明確化される方向にある。

UPCとの相互作用

統一特許裁判所(UPC)はEPCの直接拘束を受けないが、明細書と クレームの関係についてのEPO拡大審判部の判断は、UPCの判決にも重要な参考とされる。G 1/24はEPOとUPCのクレーム解釈の調和を扱ったもので、本件G 1/25がそれを補完する位置づけとなる。UPCの初期判決では、補正された明細書中の実施例の特徴づけ(クレーム範囲内・範囲外の明示)が、被告の非侵害論や禁反言の主張に利用される場面が増えており、欧州出願人は明細書補正の戦略的影響について再考を迫られている。

日本出願人への示唆

日本企業の欧州出願実務にとって、本決定は審査対応コストの予測に直結する。日本国内の特許明細書は、技術的背景や実施例を比較的詳細に記載する傾向があり、欧州出願ではクレーム補正に伴って多数の実施例を再分類または削除する必要が生じやすい。仮に拡大審判部が補正不要の方向に転じれば、欧州出願における明細書補正の追加コストが減少し、日米中欧の四極における明細書の同期維持が容易になる。逆に予備的見解通りに補正維持が確認された場合、現在の見積もりと予算配分は維持され、日本本社による予算管理上は変動が少ない結果となる。

いずれにせよ、欧州出願を担当する日本企業の知財部および現地代理人は、最終決定が公表されるまでの間、明細書中の実施例の分類・表現について従来通りの注意深い対応を維持することが望ましい。決定後にはEPO審査ガイドラインの改訂内容を確認し、社内の明細書作成ガイドラインを必要に応じて更新することが求められる。

今後のスケジュール

最終決定の公表時期について、EPOは具体的なスケジュールを示していないが、過去の付託事件の例からは2026年内、遅くとも2027年初頭までに書面決定が公表される可能性が高い。EPOは決定の公表にあわせて審査ガイドラインの該当部分(F-IV, 4節)を改訂する見込みであり、出願代理人は本決定を踏まえた審査対応マニュアルの見直しを近いうちに迫られる。日本企業を含む全世界の出願人にとっても、欧州出願の実務的負担と侵害訴訟リスクの双方に直結する判断であり、今後の決定書の公表まで動向を注視する必要がある。

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パテント探偵社 編集部

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