米国上院司法委員会知的財産小委員会は2026年4月22日、「中国による知的財産窃取:技術革新と国家安全保障への脅威」と題した公聴会を開催した。この公聴会は、中国による組織的な知的財産窃取が米国の技術的優位性と国家安全保障に深刻な打撃を与えているという超党派の問題意識のもとに招集されたものであり、特に近年急速に普及する生成AI技術が窃取ツールとして悪用されるリスクへの対応が中心的な議題となった。公聴会には学術界・産業界・政府機関から幅広い専門家が証人として招集され、4時間を超える集中的な証言と質疑が行われた。米中技術競争が激化する中、知財制度そのものの限界を問い直す場ともなった。
公聴会で最も大きな注目を集めたのが、生成AIを悪用した「蒸留攻撃(distillation attack)」による知財窃取の問題だ。蒸留攻撃とは、OpenAIやAnthropicなどが商業展開する高性能AIモデルに対して大量の体系的なクエリを送りつけ、そのモデルが長年の研究開発を通じて学習した知識・推論パターン・判断ロジックを系統的に抽出することで、競合するAIシステムを大幅に低コストで構築する手法を指す。この手法は、従来のソフトウェアリバースエンジニアリングとは根本的に性質が異なるため、現行の特許法・著作権法・トレードシークレット法のいずれによっても十分に捕捉できない「法的グレーゾーン」に位置すると複数の証人が指摘した。特に問題なのは、外部APIを通じて合法的にアクセスしながら、実質的にモデルの知的資産全体を流出させられる点だ。
蒸留攻撃の典型的なシナリオとして挙げられたのは、次のような手口だ。まず中国の研究機関や企業が米国のAI企業のAPIに正規ユーザーとして登録し、数週間から数ヶ月にわたって数億件規模の質問・回答ペアを自動生成する。その大量のデータを教師データとして、独自の「学生モデル(student model)」を訓練することで、元の「教師モデル(teacher model)」に匹敵する性能を持つシステムを構築できてしまう。このプロセスはAPIの利用規約違反に該当し得るが、現行法の枠内では刑事訴追の根拠が乏しく、民事での差し止めも技術的な証拠収集の困難さから難航することが多い、という実態が証言を通じて明らかになった。
証人として出席したUSPTO長官Coke Morgan Stewart氏は、「AIが生成した発明の特許適格性については現在ガイダンスの改訂を進めているが、蒸留によるモデル知識の流用という新しい形態の侵害に対して特許制度が直接対抗するのは制度設計上難しい」と率直に認めた。同長官は、特許制度だけでなくトレードシークレット保護の強化が不可欠であること、またAIモデルのトレーニングデータおよびモデルアーキテクチャについて来歴記録(provenance)の保持を義務化する新たな立法的措置の検討が必要だと述べた。さらに、WIPOや二国間協定を通じた国際的な枠組みでの対応を訴え、特に日本・EU・英国との協調を求めた。
Microsoftの副法律顧問Catherine Lacavera氏は、中国企業によるクラウドサービスを経由した知的財産流出の具体的なパターンを詳しく説明した。同氏によると、中国のエンジニアが米国企業の内部AIシステムに正規ユーザーとしてアクセスしたのち、そのシステムの機能や推論ロジックを複製した競合製品を中国市場に短期間で投入するケースが複数確認されているという。クラウドサービスの性質上、ユーザーがどのような意図でクエリを投げているかを技術的に検知することは現状では極めて困難であり、Lacavera氏は「トレードシークレット訴訟のみで対応するには国際的な執行の壁が高すぎる。立法措置による予防的な仕組みが不可欠だ」と主張し、故意の蒸留行為に対する民事・刑事双方での責任規定の創設を求めた。
スタンフォード大学ロースクールのMark Lemley教授(知的財産法)は、一転して立法慎重論を展開した。Lemley教授は、蒸留攻撃に対抗するためにAI出力や学習データを過剰に保護すると、AI研究の自由・技術移転の促進・競争市場への参入障壁という観点から深刻な副作用が生じるリスクがあると警告した。また、現行のトレードシークレット保護やライセンス契約が適切に機能しているケースも多く、新たな立法は現行制度の空白を埋めるに留め、過度な保護の付与は産業政策として誤りであると主張した。この発言に対し、複数の委員から「結果として中国の産業スパイ活動を利することになる」と厳しい反論が出され、公聴会は白熱した論議の場となった。
委員会では、蒸留攻撃対策の立法化に向けていくつかの具体的な方向性が示された。第一に、AIモデルの学習データについて来歴記録の保持と開示を義務化する「AIデータ透明性法案」の立法化。第二に、商業的に公開されているAIシステムへの大量クエリを通じた意図的な知識抽出行為を不正競争行為として明示的に禁止し、損害賠償と差止命令を可能とする改正案。第三に、国防総省・CISA・USPTOが連携してAI知財流出リスクの実態を定期的に評価・公表する体制の整備、の3点が主な議題として取り上げられた。超党派で支持が広がっており、今夏をめどに法案化を目指す方針が示された。
日本への影響という観点からも、今回の議論は無視できない。日本企業の多くは米国のクラウドAIサービスを重要なビジネスインフラとして利用しており、蒸留攻撃による知財流出リスクは日米共通の課題だ。また、米国が国内法でAI蒸留規制を強化した場合、日本企業が米国市場でAIサービスを展開する際に新たなコンプライアンス義務が発生する可能性もある。日本特許庁(JPO)も2025年からAI関連発明の審査指針改訂を進めており、今回の米国での議論は日本側の政策立案にも直接的な影響を与えると見られる。
今回の公聴会は、知的財産制度がAI時代の地政学的競争にいまだ追いついていないという構造的問題を改めて浮き彫りにした。特許・著作権・トレードシークレットという20世紀型の知財フレームワークは、AIモデルという「知識の結晶」を保護するには設計上の限界がある。生成AI技術の急速な普及により、国家安全保障・経済競争力・知財保護が不可分に絡み合う複合的な政策課題が生じており、立法化の動きは今後数か月が正念場とみられる。USPTOや米議会の動向は、日本特許庁(JPO)を含む各国知財当局の政策論議にも直結する可能性が高く、パテント探偵社では引き続き最新情報を追う。
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パテント探偵社 編集部
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