2026年4月9日、米国特許法の第一人者であるデニス・クラウチ教授(ミズーリ大学ロースクール)がPatently-Oに大規模実証分析を掲載した。米国特許900万件・引用レコード2億3,300万件を解析した結果、USPTO(米国特許商標庁)の拒絶理由通知のうち約25%が「秘密の先行技術」——すなわち出願時点では公開されていなかった他者の先願——を引用していることが判明した。さらに、この問題に直接関わるLynk Labs, Inc. v. Samsung Electronics Co.事件(連邦巡回控訴裁判所2025年判決)について、米国最高裁が2026年3月9日に上告受理を拒否し、この法的枠組みが確定した。
「秘密の先行技術」とは何か
米国特許法第102条(a)(2)(旧法では第102条(e))のもとでは、特許出願の有効出願日がその先行技術としての基準日となる。例えば、A社が1月1日に出願し、B社が3月1日に出願した場合、A社の出願が後に公開された時点(通常は出願から18か月後)で、A社の出願はB社に対する先行技術として使用できる。B社は3月1日の時点でA社の出願の存在を知る術がなかった。にもかかわらず、B社の特許は「事後的に出現した」先行技術によって拒絶される可能性がある。
クラウチ教授はこれを「秘密の跳躍的先行技術(secret springing prior art)」と呼んでいる。この概念は1926年の米国最高裁Alexander Milburn Co. v. Davis-Bournonville Co.判決(270 U.S. 390)にまで遡る。出願人がどれだけ入念な先行技術調査を行ったとしても、まだ公開されていない他者の出願は物理的に発見できない——これが「秘密」と呼ばれる所以である。
データが示す実態——25%から30%へ
クラウチ教授の分析は二つのデータソースに基づいている。第一は、2002年から2026年までに発行された米国特許900万件の表紙に記載された2億3,300万件の審査官引用文献レコードである。第二は、USPTOの特許審査データシステムAPIから取得した年間約1万件の拒絶理由通知の無作為抽出サンプル(2008年から2026年初頭まで)である。
法的な基準で測定した場合、拒絶理由通知のうち「引用文献が出願人の出願日時点で未公開だった」ものの割合は約30%に達している。ただし、教授はこの数字には重要な留保を付けている。引用文献の多くは継続出願や分割出願であり、その親出願は既に公開されていた場合がある。また、PCT国際出願の場合、WIPOによる国際公開が先になされていることもある。つまり、審査官が引用した「特定の文書」は法的には未公開だったが、同じ開示内容は別の出願として公開済みだったケースが相当数ある。
この区別を反映し、教授は「法的に秘密」(cited document was unpublished)と「実質的に秘密」(no family member had published the same disclosure)を分離して計測した。実質的に秘密な先行技術の割合は法的な数字より低いが、それでも無視できない水準にある。両者の差は年々拡大しており、これは継続出願や国際出願の増加を反映している。
AIPA、AIA、そしてHilmer法理の廃止
秘密の先行技術の問題は、過去20年間で大きく変動してきた。1999年の米国発明者保護法(AIPA)が2000年11月29日に施行され、ほとんどの特許出願に対して出願から18か月での公開が義務づけられた。これにより、出願が特許になるまで数年間秘密のまま留まるという状況は大幅に改善され、秘密の先行技術の割合は2006年の25%から2016年の12%へと低下した。
しかし、2013年3月16日に施行されたAIA(米国発明法)によるHilmer法理の廃止が、この傾向を逆転させた。旧法のもとでは、外国出願の先行技術日は米国出願日に限定されていた(In re Hilmer, 359 F.2d 859, CCPA 1966)。AIAは第102条(a)(2)および第102条(d)でこの制限を撤廃し、外国優先日を含む世界最先の出願日が先行技術日となった。この変更は秘密の先行技術プールを拡大させた。クラウチ教授の反事実分析によれば、AIAの広い定義は2025年時点で法的に秘密な先行技術の割合を3.2ポイント押し上げているが、実質的に秘密なものに限れば2.2ポイント程度にとどまる。
Lynk Labs判決と最高裁の上告拒否
Lynk Labs, Inc. v. Samsung Electronics Co.(125 F.4th 1120, Fed. Cir. 2025)において、連邦巡回控訴裁判所は、IPR(当事者系レビュー)手続きにおいて、対象特許の出願日後に公開された特許出願を先行技術として使用できると判示した。裁判所は、35 U.S.C. § 311(b)における「刊行物(printed publication)」の用語は「時間に関して中立的(temporally agnostic)」であると結論づけた。
2026年3月9日、米国最高裁はこの事件の上告受理を拒否した。訟務長官は、この問題の「実務上の重要性は限定的」と主張して上告拒否を推奨した。しかし、クラウチ教授のデータはこの主張に真っ向から反論している——拒絶理由の約25%が出願時に入手不可能な先行技術に依拠しているという事実は、問題が「限定的」どころか構造的であることを示している。
なお、同じ§ 311(b)の論点は、連邦巡回控訴裁判所に係属中のVLSI Technology LLC v. Patent Quality Assurance LLC事件(Nos. 2023-2298, -2354)でも争われており、この法的問題はまだ完全には決着していない。
技術分野による偏り
分析結果は、秘密の先行技術が技術分野によって均等に分布していないことも明らかにしている。電気工学・通信分野が最も高い割合を示し、変化の遅い機械工学が最も低い。これは、出願密度の高い技術領域では未公開出願同士の「重なり」が生じやすいためである。また、秘密の先行技術の約79%は公開特許出願(プレグラント・パブリケーション)であり、平均的な「秘密期間」は371日だった。
欧州・日本との比較——制度設計の分岐点
秘密の先行技術をめぐる制度設計は、各法域で異なるアプローチが採られている。欧州特許庁(EPO)では、秘密の先行技術は新規性の判断にのみ使用でき、進歩性(日本法でいう「容易想到性」)の判断には用いることができない。日本の特許法でも同様に、拡大先願(特許法第29条の2)は新規性類似の判断に限定され、進歩性(第29条第2項)の引用文献としては使用されない。
これに対し、米国では102条(a)(2)の先行技術は新規性だけでなく103条の自明性(obviousness、日本法の進歩性に相当)の拒絶にも使用される。クラウチ教授によれば、米国における秘密の先行技術の主たる使用方法は自明性拒絶である。仮にEPOや日本と同様のアプローチを採用すれば、秘密の先行技術に基づく拒絶の大半が消滅することになる。
実務への示唆
出願人の立場からは、秘密の先行技術に対する直接的な防御手段は限られているが、いくつかの戦略的対応が考えられる。第一に、早期公開請求の活用である。自社の出願を早期に公開することで、他者に対する102条(a)(2)の先行技術日を早め、競合の後願を排除しやすくなる。第二に、分割出願・継続出願を戦略的に利用し、特許ファミリーの中で公開済みの文献を増やすことで、「実質的に秘密」な先行技術に対する防御の厚みを持たせることができる。
また、IPR手続きにおいてLynk Labs判決の影響を受ける特許権者は、自社特許が出願後に公開された先願によってIPRで無効化されるリスクを再評価する必要がある。出願戦略の見直しにあたっては、日本の知財戦略の動向も参考になるだろう。
秘密の先行技術は、特許制度の構造的な問題である。出願人が知り得なかった情報に基づいて権利が否定される——この不均衡を制度としてどこまで許容するかは、各国の特許法の設計思想を反映する根本的な問いである。米国最高裁はLynk Labs事件で答えを示さないことを選んだが、問題そのものは消えていない。
この記事について
パテント探偵社 編集部
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